1973年2月18日日曜日

川苔山

 この山行を思いついたのは、磯工山岳部も丹沢ばかりでなく、もっといろいろな地域の山へ行った方がいいと考えたからである。今回の引率は顧問のMU先生だった。


 いつものように土曜の午後に学校を出発し、新宿経由で奥多摩へ向かう。中央線は混んでいた。いつも丹沢へ行くときに乗る相模鉄道ではいくら混んでいても平気だが、中央線では自分たちの存在が浮き上がっているような気がする。


 立川で中央線を下りて青梅線に乗り、終点の奥多摩までいく。奥多摩から日原行のバスに乗り、川乗谷の入口で降りる。幕営予定地はここから林道を歩いて1時間ほどのところだが、すでに夕暮れがせまってきた。せかせかと歩き、谷筋をつめていく。林道は右に左にと谷を渡りかえす。やがて左岸につけられた林道が右岸へと渡り、その後山腹をからんで高度を稼いでいく地点に出る。それからまた沢を渡る手前に小広い場所があったので、そこで幕営することにした。真っ暗な中で、ヘッドランプのあかりをたよりに天幕を張り、夕食を作り、食べ、片付け、明日の好天を祈って寝た。


 翌朝はまずまずの曇り空。林道から分かれて沢沿いに付けられた道を行く。路面がカチカチに凍っているところがあって、数人転倒する。しばらく行くと正面に大きな滝が見えた。百尋(ひゃくひろ)ノ滝という。立派な滝だが、左上の林道からかなりの岩石が崩落していて、その下部が荒涼としており興ざめである。


 道はここから複雑な地形の中を行くようになり、ルートが正しいか少し不安になる。ガイドブックにも川苔山は道が複雑であると書いてあった。それでもなんとか正しい道を歩いているようで、標高が上がり、足元の積雪も増えてきている。もう小屋が近いなと思っていたところ、ひょっこりと小屋の前に出た。小屋には誰もいなかった。内部は小ぢんまりしていて感じが良い。すっかり雪が積もっている稜線をたどって山頂を往復する。頂上からの眺めは、雲が多くてあまり良くなかった。

川苔山で 1973年2月18日

 小屋に戻って、中で昼食の力(ちから)ラーメンを作って食べた。その後、赤杭尾根を駆け下る。途中棒の嶺方面が良く見えた。最後は、尾根の上からほんの小さく見えた古里の駅まで十分くらいで走って降りた。山頂からほとんど休まず駆け下りてきたので、1年のSは駅までスパッツをつけたままだった。


 やっぱりいろいろなところに来てみるのは良いと思った。

 

1973年2月4日日曜日

大山

 わが家の男性4人で行った。

 いつものように大秦野駅からバスに乗る。天気は上々で富士山がきれに見える。蓑毛から先はバスが運休中だったので、蓑毛から歩く。予定より1時間ほど多く歩かなければならなくなった。


 柏木林道は気持ちが良い。大してくたびれずの高度がどんどん上がっていく。秦野盆地はまだ朝もやの中で、ぼんやりと朝寝をしているようだ。天気もよいので、子供たちはせかせかと歩いたが、父はゆっくりと歩きたいようだった。ちらほらと雪が残っていて楽しい。


 山頂からの下山は、父は膝が痛そうだった。