僕は山岳部の部長だが、大会に参加することは嫌いである。しかるに、顧問により強制的に大会に参加させられる。このことに対して疑問があるのだが、まだ強く言うほどの実力もないので、仕方なく新人大会へ行く。
渋沢からバスに乗り、堀川で降りて四十八瀬川沿いの林道を行く。土ぼこりが舞い、額から汗が流れる。右から大倉からの道を合わせ、さらに奥へと行く。他のパーティーも行く。谷を渡るたびに、道は蛇行せねばならない。ようやく二俣の天幕場に着く。
山に登ることについて、何の感慨もなく、何の意欲もない。こんな山行をなぜしなくてはならないのか。槙有恒は「集団登山の意義は交歓のみにある」と言っていた。実にそうである。しかし、それも今は昔である。僕たちがキャンプファイヤーを囲んで歌っていても、他校のパーティーは誰も入って来なかった。
翌朝、またぞろ歩き出す。林道から登山訓練所尾根に入る。暗い植林の中をしばらく行く。大会なので道端に捨てられた空缶を拾いながら登る。尾根が急になり、日当たりが良くなった所で休憩する。四十八瀬川の下流を見やると、朝もやの中に逆光の光が透き通っていく。
登訓尾根で 1972年11月18日 |