1972年6月25日日曜日

塔ノ岳

幸か不幸か、磯工山岳部は今夏の高校総体の全国大会に出場することに決定しました

そのため先週行われた山岳部のボッカ訓練には参加できませんでした

県の登山訓練所で行われる今回のリーダー講習会に参加するためです


6月24日

いつものように大倉から四十八瀬川沿いの林道をてくてく歩き二俣に着きました

今回は新しい登山靴なので、足に当たって痛くなるかと思っていました

ここまでは大丈夫です


6月25日

翌朝は雨でした

出発時間を遅らすとのことです

時間調整が主目的のようなつまらない話をいくつか聞いてから登りはじめました


先頭は向の岡工高の顧問のK先生です

わたしたちのパーティーはボッカ訓練も兼ねているので、荷物をわざと重くしてあります

小草ノ平までは少しばかりきつく感じました

そこから塔ノ岳までなんとか足はつらずに行くことができました


新品の靴がなんだか足に当たってきたようで、少しばかり憂鬱になりました

下りになると本格的に当たってきました

大倉についてようやくほっとしました


この日からインターハイまでずっと調子が良くありませんでした


1972年6月18日日曜日

鍋割山から表尾根

この山行についてなぜかどうしてもその記憶を呼び起こすことができませんでした

磯工山岳部のボッカ訓練です

わずか1年あまり前のことですが、なぜでしょうか


仕方がないのでここではこのごろ思っていることを書きます

題して「無意味な大会の参加」です


まず最初に自分が何を言いたいはっきりしておきます

「高校の山岳部にとって大会に出るの意義は無に等しく、参加することの弊害が大きい」

わたしが高校総体(インターハイ)に参加した経験にもとづいて書いてみます


まず、精神面において発達途上にある高校生が登山の本質を見誤ることです

登山というのは本来競争とは無縁の行為です

それをスポーツ競技として行うことに無理があります

橋の渡り方、歩行の間隔、天幕の設営、調理、天気予報など

これらの登山中の行為を競技ととらえて優劣をつけることに積極的な意味はありません


登山を競技とすることは無意味であるだけでなく高校生の登山の重要な価値を損ないます

その価値とは登山を通じた人間的成長です

競技的な登山はそれを妨げる可能性が非常に高いと思います


大会の参加者が登山中に最も気にすることは、上位に入れるかどうかです

登山を通じて交流し、交歓や友好の感情を味わうことではありません


わたしが感じたのは「高校生は大会への参加を自発的に希望してはいない」ということです

顧問の先生から大会に出ることを半ば強制されているケースが多いのです

休日返上で山行に付き合ってくれる顧問の先生から言われたことを断れないのです


良くわからないのは、なぜ顧問の先生は生徒を大会に参加させたいのか、です



ここまで書いてきてようやくなぜこの山行の記憶がないのか分かりました
それはこの山行にわたしは参加していなかったからです
翌週に行われるリーダー講習会に参加するためこのボッカ訓練は不参加にしたのでした
これでようやく納得がいきました