2019年4月20日土曜日

黒旅(8)-6 尾道


早暁の尾道水道

尾道ゲストハウス みはらし亭

尾道水道

尾道駅の自転車組立場

うきわれを寂しがらせよ閑古鳥 はせを

2019年4月19日金曜日

黒旅(8)-5 今治⇒尾道

8:00 シクロの家
今日は「しまなみ海道」を尾道まで80㎞くらい走ります
距離は手ごろです
途中に合計六本ある橋を渡るときに登りがあるとシクロの家のスタッフが教えてくれました
さっそく第一の橋「来島海峡大橋」に登る坂にさしかかりました

坂道の勾配はせいぜい5%(100m走って5m登る)できつくはありません

それはこのように道がらせん状になっているからです
鉄とコンクリートのとても正しい使い方です

標高差60mほどを登って橋の起点に着きました

この塔は路面からでも高さ100mくらいありそうです
自転車道は幅が広く路面がスムーズで走りやすい

朗報が!
協賛企業の寄付により自転車の通行料金は現在無料だそうです!

橋からの眺めはいいです

渡ってきた来島海峡大橋(三連橋)を大島から振り返りました

伯方島の伯方ビーチ

10:00 伯方ビーチ

一番小さい大三島橋を渡りました

この多々羅大橋の向こうが愛媛県でこちらが広島県です

11:30 生口島
瀬戸田で昼食にしました
瀬戸田の空き家
因島大橋を渡って向島に着きました

14:00 尾道大橋
橋の手前から尾道の街が見えました

14:30 東尾道
ここで自転車を分解・梱包して自宅に送り返します

17:00 尾道ゲストハウス みはらし亭
食料の買い出しをしてぶらぶら石段を登り、今夜のお宿に着きました

本日の走行距離: 89.6㎞
黒旅(8)福岡⇒尾道の走行距離: 333㎞
黒旅 川越⇒尾道の走行距離: 2,808㎞

尾道 へ続く



2019年4月18日木曜日

黒旅(8)-4 徳山⇒今治

8:30 ホテルアルフレックス徳山駅前
朝の繁華街を抜けて山陽本線沿いに走りだします

9:00 光
海岸沿いの国道を走ってきました

10:00 室積海岸
きょうの瀬戸内海はとても穏やかです
黙々と海岸のゴミを拾っている人がいました
室積海岸
11:00 柳井
道路標識に「白壁の町並み」とあったので来てみました
ここは重伝建(重要伝統的建築物群保存地区)です
計画をする際にチェックし忘れていました
標識を見落としていたら後悔していたところです

「柳井」のいわれは柳に井戸です
分かりやすいですね
白壁の町並み 柳井
白壁の軒先で金魚が風に揺れています
国森家
12:10 柳井港
港でフェリーの切符を買う際に窓口のお姉さんから良いことを教えてもらいました
自転車を分解して袋に入れて乗船すれば手荷物運賃(1,130円)がかからないそうです
そうか!
しかしもう乗船まで15分しかありません
分解には作業時間が30分は必要です
それに分解したら松山で下船してからまた組み立てなくてはなりません
涙を飲んで手荷物扱いにしました
お姉さんに教えてもらったことをいつか活かせる日が来ることを願っています!
柳井港
14:00 情島沖
うず潮って瀬戸内海のあちこちで見られるんですね
情島沖
15:00 三津浜港
松山にフェリーで着いてそこからまた走り出しました
のんびりとしてきれいな海岸線を北上して今治に向かいます

18:00 ゲストハウス シクロの家
JR今治駅の駅前にあるゲストハウスに着きました
「しまなみ海道」の起点にぴったりの宿です
親切なスタッフが今治の町やしまなみ海道のことをいろいろ教えてくれました

本日の走行距離: 88.2㎞

今治ー尾道 へ続く



2019年4月17日水曜日

黒旅(8)-3 中津⇒徳山

8:30 ビジネスホテルナカツ
昨夜阿蘇山で小噴火があったようです
その後活発化した様子もなさそうなので予定通り出発します

10:00 豊後高田市
「昭和の町」に着きました

昭和のイメージは人それぞれでしょう
ひとくちに昭和といっても激動の時代が60年以上も続きました
なので初めと中ごろと終わりではずいぶん様子が違います

わたしの昭和のイメージは昭和30年代から40年代にかけての商店街です
豊後高田の「昭和の町」は昭和30年代の町並みを再現しているというので興味がありました

その頃横浜の相模鉄道沿線に住んでいました
駅前には商店街があってそこがふだん買い物をするところでした
西横浜駅には藤棚商店街、天王町駅には洪福寺商店街という大きな商店街がありました
和田町駅や上星川駅の前には少し小ぶりな商店街がありました

横浜駅へ行けばデパートがあり少し上等なものが買えます
庶民の多くは身近な商店街で手ごろなものを買っていました
わが家も休みの日や歳末には総出でほぼ一日をかけて商店街で買い物をし食事もしました
ささやかですがとても楽しいイベントでした

時は高度成長時代で誰もがつよい購買意欲を持っていました
商店街には普通の生活に必要なものは何でもそろっていましたから皆そこへ行ったのです
通りは活気に満ち人々の笑顔があふれていたように思います
それがわたしの昭和のイメージです
そうしたイメージを持ってこの「昭和の町」に来ました

朝10時に商店街の入り口に着きましたが人が歩いていません
平日の朝早くにそう人は歩いていないものです
ところどころ店は開いていますがシーンとしています
ガラス越しに店内を覗いてみるとポツンと店の人が座っていたりします
店の様子はいろいろです
いまも実際に商売をしているところ
古い商品を展示だけしているところ
もうただの商店跡になっているところ

昭和時代の建物は残っていますがあの頃の活気も笑顔もありません
それは今の日本そのもので仕方のないことです
昭和の建物が残っているだけで奇蹟です
この町にだけあの頃の活気や笑顔がまだ残っていたらただの奇蹟じゃすまないでしょう
それは「ナミヤ雑貨店の奇蹟」ですよ

懐かしいお菓子をいくつか買い、チャンポンを食べて「昭和の町」をあとにしました

13:00 真玉海岸
干潟の潮が引いて縞模様ができていました
ところどころでマテ貝やアサリ拾いをしている人が見えます
これから尾道まではだいたい海岸沿いの道です

14:10 竹田津港
国東半島の北端の竹田津港からフェリーに乗って周防灘を渡り徳山へ向かいます
本当は別府から松山へ行ければ便利だったのですがそのフェリーは廃止になってしまいました
なので一度徳山へ渡り、そこから柳井まで走って、さらに松山へ渡ることにしました
なぜそんなに松山にこだわるのかとお思いでしょうか
「しまなみ海道」を今治から尾道まで走りたいからです

16:30 徳山港
国東半島とは打って変わって徳山港近くの海岸線には工場が林立しています

17:30 ホテルアルフレックス徳山駅前
スーパーでボラの刺身と鯛のアラ煮を買ってビジネスホテルにチェックインしました

本日の走行距離: 48.7㎞

徳山ー今治 へ続く



2019年4月16日火曜日

黒旅(8)-2 大宰府⇒中津

8:00 ノリシコオートゲストハウス
ゲストハウスのユニークなオーナーに見送られて出発しました

9:00 米ノ山峠
朝一番で標高差300mの峠を越えました
きょうはもうこれで大きな登りはないと予想しました
この見通しは甘く、きょうは1日峠まつりとなりました

9:30 穂波町
あちこちにレンゲの咲くのどかな田園がひろがっています
穂波町
ため池にもたっぷりと水が溜まっていて田植えの準備も万端のようです
ため池
このあと峠を三つ越えました
米ノ山峠ほどではありませんでしたが少々こたえました
とくに最後は川沿いの道が通行止めで迂回路がばっちり峠道でした
ちょっと損をした気分です

それから走りやすい今川のサイクリングコースに出ました
その道とも豊津で別れ、東に中津へと向かいます

13:30 椎田
日豊本線の線路を越えて国道8号線と合流します
ここから中津まではまた交通量の多い道路です

15:30 福沢諭吉旧居・記念館
ここを訪ねたのは福沢という人をもっと知りたかったためです
犬猿の仲といわれた大隈重信とどう違うのか知りたかったのです
福沢と大隈はともに幕末から明治にかけて人々におおきな影響を与えた人物でした
福沢諭吉旧居 大分県中津市
わかりやすい違いは福沢は一万円札に採用され、大隈はされなかったことです
大隈は政治家だったのでこれからも紙幣に採用されることはないでしょう
まあこれは些細なことです

記念館の資料を見ていて二人の間の大きな違いに気がつきました
それは海外渡航経験と名著のあるなしです

福沢は半年ほどの渡米が二回、一年ほどの渡欧を一回しています
大隈は海外へ行ったことがありませんでした
海外経験のあるなしが二人の第一の違いです

もう一つの違いは名著のあるなしです
福沢は1863年の渡欧のあと「西洋事情」(1866年)を著しています
そして二度目の渡米(1867年)ののちに「学問のすゝめ」(1872年)と「文明論之概略」(1875年)を発表しました
学問のすゝめ 初版
これらの著作は外国語にも翻訳され国内外でたくさんの人々に読まれました
政治家の大隈にはこれらに匹敵するような著作はありません

ともに当時としては大柄な二人(福沢は173.5㎝、大隈は180㎝)でした
九州の藩士出身で欧米の文化に理解があり教育に熱心だったことも共通しています
この二人の大きな違いは海外経験に触発された名著のあるなしだと気がつきました

17:00 中津城

18:00 ビジネスホテルナカツ

本日の走行距離:86.7㎞

中津ー徳山 へ続く


2019年4月15日月曜日

黒旅(8)-1 福岡⇒大宰府

また黒旅へ

自転車で日本一周を時計回りにしています
この旅を「黒旅」と呼んでいます
あちらこちらの負の遺産を見て歩きます
原子力発電所、自然環境破壊・公害の現場、戦跡などです
伊方原子力発電所 2017年4月5日
こういった負の遺産のイメージでは黒です
なので「黒旅」と呼んでいます

それにしても黒いものばかり見て歩くと心が暗くなります
それで明るいものも見ます
景色の良いところ、歴史や民俗の資料館、重要伝統建築物保存地区などです
徳島県脇町 2016年10月13日
こういうところでいろんな人と話しをするのは楽しいことです
土地の人の思いをなにげなく聞くのが好きです
勉強になることもしばしばあります

自転車はランドナーというツーリングタイプです

前後にバッグをつけて必要最小限の荷物をつめこみます
毎回1週間ほどの旅です
泊まるのはゲストハウス、民宿、ビジネスホテルなどです
食事はコンビニの弁当やパンなどで済ませます

自宅(埼玉県川越市)から出発点(つまり前回の終着点)までは適当な交通機関を利用します
フロントバッグだけ持っていきます
自転車とサドルバッグはあらかじめヤマト便などで出発点に送っておきます
その自転車を出発点で組み立てて走り始めます
旅の終着点で今度は自転車を分解して袋に入れて自宅へ送り返します
そして適当な交通機関を使って帰ります

黒旅は平均時速15㎞ぐらいで1日6時間ほど走ります
走る以外に見て歩く時間も必要なのでこれくらいがちょうどいいところです
ルートはなるべく交通量の少ないのんびりした田舎道を選びます
伊賀上野市 2016年4月6日
2015年に自宅をスタートして東海、近畿、四国、九州と走り抜けてきました
前回は2018年4月に鹿児島から福岡まで走りました
なので今回は福岡が出発点になります
時計回りで日本一周なら福岡からは関門海峡を渡って日本海側へと思うでしょう
今回は福岡からさらに九州を東へ向かいフェリーを使いながら広島県の尾道へと走ります
黒旅はフレキシブルなのです
自分の行きたいところを結ぶようにしてルートをとります

さてまた黒旅が始まります

2019年4月15日
15:40 福岡空港近く
40分かけて自転車を組み立て、出発の準備が整いました

この空港は福岡という大きな都市の真ん中にあります
なので自転車でしばらく街中を走らなければなりません

16:20 大宰府政庁跡
足ならしのためゆっくりと走り大宰府政庁跡に着きました
なんの建物もありませんが向きのよいところです
山の新緑が傾きかけた陽に映えています
この辺りで令和ゆかりの「梅花の宴」が催されたのですね

16:50 太宰府天満宮
菅原道真をお参りに行きました

学問の神様にいま自分がやっている数々の学びごとが成就するようお願いしました
成就とはどのような状態になることか具体的には分かりません
成就というよりもまずは飽きることなくいつまでも学んでいたいのだと思います

18:10 ノリシコオートゲストハウス
今夜の泊り場に着きました
同宿のひとはドイツから初めて日本に来た若い男性ただひとりです
大宰府に住んでいるフィアンセの両親に初めて会って挨拶するため来日したそうです
ジェットラッグといろんな緊張でたいへんだろうなと思いました

本日の走行距離:19.9㎞

大宰府ー中津 へ続く


2019年4月9日火曜日

恵那山

恵那山に登る尾根から見た中央アルプス
えなさん(2,190m)

はるか昔のこと、ともに大学浪人が確定した友人と雪が残る春の信州を旅しました
国鉄の信州周遊券をフルに使い、食事は駅ソバやパン、夜は駅の待合室で寝る貧乏旅です

清里で美しの森、小諸で懐古園、松本で松本城、糸魚川で日本海と見て歩き
最後に木曽路へ行きました
ここでの一泊だけは妻籠から馬籠へ向かう道端の民宿に泊りました
囲炉裏端でご飯を食べ、何日ぶりかで風呂に入り、ゆっくり布団で寝ました

翌朝気持ちよく晴れた街道を歩き馬籠峠を越えました
見晴らしの良いベンチを見つけ携帯石油ストーブで雪を融かしラーメンを作って食べました
目の前には恵那山がゆったりとたたずんでいました
いつかこの山を登りに来たいなと思いました

先日どこか山へ行こうと考えていた時にこの旅のことをまた思い出しました
「いつか」とはきっと今のことなのだろうと恵那山へ行くことにしました

いつものように自分らしく楽しむ山旅です
・高速道は使わず一般道を使い
・食事は自炊か弁当など
・宿には泊まらず車中泊し
・行き帰りには麓の景色も見て歩く

旅のスタイルがあの頃と変わっていないことに苦笑してしまいます

4月8日
川越から本庄、吉井、下仁田、佐久、和田峠、伊那、飯田と天狗党の西上ルートを辿ります
幕末に水戸から京都へと大挙して向かったあの天狗党がとった道です
手っ取り早くいいますと旧中山道です

沿道の桜の咲きぐあいに感心しました
南アルプスと中央アルプスに挟まれた伊那谷は南北に長い谷です
その北に位置する辰野ではまだ桜が開花していませんでした
それが南下するほどにほころびだし、飯田ではすっかり見ごろになっていました
辰野と飯田は直線距離で60㎞ほどです

飯田からもう少し走って道の駅信州平谷で車中泊しました

4月9日
朝5時に目覚めて車窓から見上げた空に星が見えました
広河原コースの駐車場へ移動して腹ごしらえをし6時半に出発しました

樹林帯の急な尾根を30分ほど登ると雪がでてきました
ところどころ凍っていて滑りやすいのでクランポンを履きました
クランポン歩行するのは30年ぶりです

山頂までの中間地点を過ぎると東側の見晴らしがよくなりました
伊那谷を隔ててみる南アルプス
寒の戻りの冬型で空は青く冷たい北風が吹いています
堅くしまった雪を踏みしめて登り、9時半過ぎに山頂につきました
物見櫓に登っても樹林にさえぎられて展望が効きません

帰りは景色を楽しみながら下りました
北西側の見晴らしもよくなりました
御岳(左)、乗鞍岳(中央)、穂高岳(右)
北側には中央アルプスが見えますが見慣れないので山名が判然としません

東側の南アルプスはどれも山名がわかります
左から仙丈岳、北岳、間ノ岳、農鳥岳、塩見岳
左から塩見岳、荒川岳、赤石岳、聖岳

下りは上りより難儀でした
久しぶりのクランポン歩行のためです
出刃でつまづかないよう足を上げて歩いたため足がつりました
さっそく芍薬甘草湯を飲みます
注意していても時折出刃を草や裾にひっかけて転びました
クランポンを外したあとは雪で滑ります

小走りで下り12時過ぎに出発地の駐車場に戻りました
思ったより早く登れたので帰りは桜の名所に立ち寄りながら川越へ帰りました
高遠城址公園
山高神代桜