1986年7月27日日曜日

丹沢 玄倉川小川谷廊下 K、T、T

 大井川赤石沢に向けたトレーニング山行第3弾、最終回である。Tが車を出してくれ、楽だった。新宿駅南口に集合して、東名高速道路をとばし、穴の平橋に着いたのは、夜中の12時過ぎだった。ヘッドライトを頭につけて宴会をする。翌朝は少し雨がぱらついた後、次第に明るくなり、梅雨明けの期待をいだかせる。二日酔いの者も朝食を済ませ、身支度を整えて出発する。(8:30)


 先行パーティーがいる。踏み跡を使って沢に降り、トコトコ歩きはじめる。第1の滝には倒木が引っかかっていた。真名井沢と鳥屋待沢の様なのかと思った。その勘は当り、大岩のある滝も、本来ずぶ濡れになるはずが、倒木を使って難なく越えてしまった。滑りやすい滝がいくつか続いたが、渓流シューズのフリクションで、正面から登れた。


 次にあらわれたゴルジュは、わざと濡れながら登りを楽しんだ。つるつるの大岩を遊びながら越し、石棚に入る。滝がいくつか続いた後、大滝に出る。2段15Mで下段は確保なしで登れるが、上部は必要だ。左の巻道には6人の先行パーティーが、ザイルを出していて、2時間ぐらい待たされそうだ。それで、横をフリーで先行させてもらう。ひとしきりプールで泳いだ後、滑りやすい滝をひとつ越え、東沢のゴーロに出て、小川谷の遡行を終了する。前から来てみたかったが、まとまっていて良い沢だと思った。


 帰りは中ノ沢経路を穴の平橋に戻った。途中中川温泉に寄って入浴しようとしたが、断られてしまった。なぜだろう。さてこれで赤石沢へ向けての準備はできた。



1986年7月20日日曜日

万太郎谷

  大井川赤石沢へ向けてのトレーニング第2弾として行った。


 上野駅22:17発の長岡行、通称「谷川列車」は、土日のみの運行になった。これに乗って、土樽まで行き、駅の陸橋で仮眠する。駅は合理化で無人駅になってしまった。


 翌朝、晴れを期待してはいなかったが、雨である。しばらくシュラフの中でじっとしていたが、時間がたつにつれ空が青く見えるような気がしてきたので、まだ寝入っているみんなを起こして出発する。


 魚野川に沿って林道を歩く。関越自動車道の側道を歩かせていただくという感じである。しばらくいくと魚野川は、右万太郎谷、左蓬沢、と別れる。右へ行く林道へ入る。土樽駅から小1時間で万太郎谷に降り立つ。どんよりとした雲が頭上を圧し、今にもまた雨が降ってきそうだ。朝食をとり、身支度をして、そそくさと出発する。


 水流は意外に冷たく感じる。河原を少し行くと、大きなナメが現れてきれいだ。そこを過ぎると、左か流木の多い川棚沢を迎える。関越トンネルの巨大な排気塔がある。これは全く興ざめだが、これを作るために林道を通さなかったのは不幸中の幸いだ。


 その上がオキドウキョの淵である。ゴルジュを通過するには水泳しなければならない。それを避けて危ういヘツリや大高巻きをするくらいなら、泳いだ方がすがすがしい。先行した3人が、淵を前にためらっているので、わたしがまずザンブと泳いで渡った。その上の滝状(1.5M)は水量が多くて登りにくい。水中ボルダリングという感じで越す。次にまた淵があって、再び泳ぐ。対岸へ着き、上がろうとしたがホールドがない。四苦八苦しているうちに水につかった下半身が寒さに強ばり、えいとばかりに持ち上げた左足が痙攣した。


 井戸小屋沢の出合付近で雨が激しくなってきた。ここから谷川新道を下山する。谷川新道は廃道に近く、非常に歩きづらいので、排気塔のところから万太郎谷を下った。沢を泳いだり、ウォーターシュートしたりしながら、朝食をとったところまで楽しく下った。


 湯沢駅まで出て、駅前の温泉に入って冷え切った体を温め、新幹線で帰京した。


 わたしの山日記もとうとう3冊目が終わった。1冊目が高校1年の秋まで。2冊目が大学職員になった年の初冬まで。そして3冊目は30歳の夏までである。


 縦走と沢登りの時代、模索の時代、山スキーと岩の時代がそれぞれに対応しているように思える。山行回数は200回に近づいている。4冊目は山スキーと沢の時代だろうか。


1986年7月13日日曜日

鳥屋待沢

 夏に大井川赤石沢の遡行を予定しているので、行くメンバーでトレーニング山行をしよう、となった。日帰りで、小さな沢で足馴らししよう、と岩崎元郎の「沢登りの本」に載っていたこの沢を選んだ。

 5月に真名井沢へ行ったときと同じように、沢には倒木が多かった。倒木が無ければ、小さいながらもすっきりした良い沢だったと思う。


 このところ天候にめぐまれない。山へ行くたびに雨だ。梅雨だから仕方ない。