1985年12月30日月曜日

槍ヶ岳

 TSMCの年末年始の合同山行で、どこへ行こうかと皆で考えたすえ、新穂高側から槍ヶ岳にスキー登山することにした。先発隊はKがリーダーでW、S、Hのペルー組だ。29日に入山し、槍平にベースキャンプをおいて、はじめに奥穂高岳を往復する。次に槍ヶ岳に登る際に、わたしとKちゃんが後発隊で合流する予定だ。わたしたちは30日に入山した。

12月30日

 新穂高温泉のバスの終点から、蒲田川右俣の林道にそって進む。すぐ雪道になり、スキーにシールをつけた登行に切り換える。白出沢を横切る箇所では、デブリが堆積していて、スキーではあるきにくい。ひときわ大きい滝谷出合のデブリを越えて、川が左に曲がり傾斜を増すと、槍平の雪原に出た。先発隊のテントが見つからず、待っていると、下から先発隊の4人が登ってきた。ところがHの様子がおかしい。


 話を聞くと、つぎのようなことだった。先発隊は、予定通り奥穂高岳に登頂し、昨晩は穂高小屋の近くに雪洞を掘ってビバークした。その就寝中に屋根から落雪があり、その下敷きになってHが肋骨を圧迫骨折したのだそうだ。Hは胸のまわりにポリウレタンのマットを巻いて、細引きで固定している。明日、Kが新穂高まで付き添って下山することになった。自力で歩けるのが不幸中の幸いだ。


 けが人を出してしまったが、夜は遅くまで宴会して、入山草々アルコールが枯渇してしまった。


12月31日

 今日は槍平の周辺でスキーをやることにした。大喰沢の辺りまで登り、ダケカンバの間を気持ちよく新雪滑降した。

 午後に川上が戻ってきた。酒を沢山背負ってきてくれた。おかげで、昨晩以上に派手に宴会をやることができた。


1月1日

 今日は槍ヶ岳に登頂する。二日酔いの頭を押さえながら、飛騨沢への道をスキーで登る。傾斜が急になってきたところでスキーをデポし、アイゼン登行に切り換える。風雪の中の行動だが、視界は良く、ルートは明瞭だ。


 西鎌尾根に出るとさらに風雪が強まった。槍ヶ岳の姿は見えない。そのまま視界は晴れず、肩の小屋についても槍の穂先は見えない。寒いので小屋の中に入ると、沢山のひとが風を避けていた。久美ちゃんは、昨夜の睡眠不足で完全にバテテしまい。穂先への登頂は諦めてしまった。穂先の岩にはエビノシッポがたくさん付いている。鎖場は、夏場ほどではないにしろ、多くの人がとりついている。山頂ではまったく視界がなかった。


 そそくさと下山し、槍平のテントへと急ぐ。


1月2日

 今日も槍平のまわりでスキーをして遊んだ。

1月3日

 登ってきたルートを下山して、新穂高温泉から下山した。


1985年12月15日日曜日

笛吹川東沢乙女ノ沢

  昨冬断念した黄蓮谷の氷瀑だが、今年は奥秩父でやってみようと、SJと行く。バス終点の新地平から、徒歩2時間ほどで乙女ノ沢の出合に着く。(8:30)

 他パーティーに続いて、わたしたちも乙女ノ滝から登る。(9:10)SJは1万円で買ったバイルの性能が素晴らしいと、とても喜んでいる。滝のうえからナメが続き、コンテで行く。すぐにやや角度のある3段の滝になって、スタカットで登る。SJは今度はスナーグという道具が素晴らしいと感心している。80Mの大滝(Ⅳ-)は順番待ちになっている。氷瀑登りを始めたばかりのわたしたちは、他人の登り方が参考になる。わたしがリードして、30Mほど登ったところでビレイポイントを作ろうとした。しかし、持参のパイプスクリューはなかなか上手く刺さらなかった。次にSJが登ってきて、ビレイポイントを通過して上部をリードした。最初にスナーグを、次にコの字ハーケンを打って落ち口に出た。(14:00)大滝から上部は面白くないので、懸垂下降3回を交えて乙女ノ沢の出合まで戻った。(15:45)


1985年12月7日土曜日

谷川岳

 例年通り初滑りを兼ねて、天神尾根から山頂を往復する。今年は昨年のように二日酔いと寝不足でメロメロにならないよう注意して、余裕を持って山頂に行けた。前回山行で冬富士にのぼれなかったので、少しは反省したのです。やっぱりトレーニングをすれば調子は戻るのですねえ。やらなきゃだめだあ。山頂を往復してきてから、天神平でバリバリ滑る余裕がありました。