1982年6月27日日曜日

鷹取山

 TSMC代表の出海さんが岩登り用の遭難対策訓練を行うと言うので、懐かしの鷹取山に出かけた。当日の朝になって、雨のために中止になったようだ。集合場所の岩場へ行ったが、数人の会員が来ていただけだった。

 この日はOと2人でいろいろなルートを登ってみた。特に楽しかったのは電光クラックだった。何と表現すればいいのだろう、あの登り切った時の満足感は。岩登りに限らず、これまでに感じたことのないような強いインパクトがあった。これはやめられなくなりそうだ。


1982年6月19日土曜日

日和田山

 春スキーのシーズンも終わりを告げた。3,000メートル級の山ならまだできるけれど、それにはまとまった休暇が必要だ。それでそろそろ夏の岩登りに目が向き始めた。

 日和田山には初めて来た。スケールは小さいが、岩質はしっかりしているように思える。ここで初めてハード・フリークライミングをやっている人たちを見た。女岩の上部がハングオーバーしたルートを、専用のラバーソールの靴を履いて、トップロープという方式で登る。ラバーソールの摩擦で、これまで登山靴で登っていた時よりもきわどいバランスで登れる。また、トップロープ方式だと、滑落した場合でもルートの基部まで墜落することがないので、思い切った動作が可能だ。


 フリークライミングは面白そうだ。


1982年6月5日土曜日

マチガ沢、芝倉沢

6月5日

 この山行で、Wさんと初めて会った。


 まず、この日はマチガ沢で小手調べをした。夏道をスキーを担いで登って行くと、1時間弱で雪渓に出た。ポールが立てられ、スラロームの練習をしているスキーヤーがいた。わたしたちはそこを通り過ぎ、どんどん上へ登った。沢がS字に屈曲した部分から上は、雪面に小さな瓦礫や草屑などがちらばっているので、スキーヤーは上がってこないようだった。


 そこからさらに登って行くと、大きなクレバスがあって、その上は沢幅が狭まり、スキーで滑るのはさらに困難になる。これより上では滑れない、とOさんとKはここで待っていることになった。わたしとWさんはスキーを担いだままさらに上まで登る。登山者がわたしたちを怪訝な目で見ている。


 そこから滑降したのだがスプーンカットの雪渓は非常に滑りにくい。それでもなんとか雪渓の下端まで滑り、やったなという気分になった。


6月6日

 早起きして、芝倉沢へ滑りに行く。


 マチガ沢の出合からテクテクと林道を1時間ほど歩いて芝倉沢の出合に着く。大きな堰堤にデブリが押し寄せている。ここから急な沢身を登って行くのだが、足元が不安定なうえに、上部からの落石やブロックにも注意が必要で、なかなか大変な登りだ。2、3回休憩を入れて、ようやく稜線下のカールの底のようなところに出る。ここまで来ると安定し、落石等の危険もないので、ゆっくり昼食をとる。

芝倉沢で

 沢の源頭部にいい斜面があったので、若林さんとそこへ行って滑る。


 出合までの下りは、マチガ沢と違って適度に雪が軟らかく、気持ちよく滑れた。


 Wさんは、ゲレンデでの滑りは相当の力があるようだった。山の中ではどうか、ここ1発での力量は未知数だ。これからいい意味でのライバルになりそうだ。こういう人が身近にいないとだめだ。WLSKの時のように独りよがりしていてはだめだ。