1980年8月4日月曜日

朝日連峰

 上越の朝日岳は、悪天のため途中下山となり、パーティーは水上で一旦解散した。わたしとYだけは、これから東北の朝日連峰へ行く。2人で主稜を縦走する計画だ。


8月4日

 土樽山の家で1泊し、翌朝早い下りの列車で新潟に出る。新潟で食糧の買い出しを済ませ、坂町へ。列車は混んでいて居心地が悪かったにも関わらず、Yはグーグー寝ていた。あとで聞いたら風邪気味で調子が悪かったとのこと。坂町から米坂線に乗り換え、小国で降りる。ここは高校2年生の時、夏合宿で飯豊連峰からへとへとになって下山してきた想い出深い駅だ。みんなでスイカとコロッケを買って食べた。


 バスで朝日まで入る。ここで降りた登山者はわたしたちだけで、土地の子供たちにうさんくさげにじろじろと眺められた。夕暮れの迫った村はずれの道を、できるだけ今日のうちに山の中へ入っておこうとさっさか歩いた。すると後ろから小型トラックが来て、おじさんが「乗ってけ。」というので、ありがたく乗せてもらった。途中で登山届を出して、テントを張った。


8月5日

 天気が良いのが、空の上の方が青いので分かる。道はあまり踏まれていない。沢沿いの道は、大きな沢を何本も渡る。渡る橋が原始的で、倒木を沢に渡しかけた程度のものである。角楢小屋で大学のワンゲルパーティーを抜き去り、いよいよ急登になる。登り切ったところは、見晴よく刈りはらわれた尾根で、はじめて大朝日岳が見えた。後方かなたには飯豊連峰も見える。


 それにつけても感心するのは、これほど暑いのに、稜線沿いに残雪が豊富に残っていることである。水をがぶ飲みしたので、休憩がてら水場まで行き水を補給した。ここで元気が回復したので、大朝日岳まで一気に登る。ガスで何も見えない。ここで秋田工業高校のパーティーと一緒になったが、彼らとは結局鶴岡まで一緒に行くことになる。西朝日岳の手前に気持ちよさそうなテントサイトがあったので、少し早いがここで幕営する。


8月6日

 雲は多いが、大崩れすることはないだろう。すこし下ると雲から出た。途中何か所か良い水場があり、それに元気づけられて、最後のピーク以東岳に登る。

以東岳で

 朝日連峰のピークは大きく見えるが、実際に登ってみるとそれほど登り甲斐は無い。避難小屋で上手いスパゲッティーを作って食べ、大鳥池まで駆け下る。小屋の周辺で岩魚を釣ろうと、何か所かで試みたが、ぜんぜんだめだった。秋田工業のOBらしき人は大きいのを何匹も釣ったらしく、焼いているいい匂いがわたしたちのテントに漂ってきた。


8月7日

 池から泡滝ダムまで歩き、ここで風呂代わりに沢に入って泳ぐ。そうしていると秋田工業の生徒が「もうバスが来てますよ。」と息を切らして教えに来てくれた。大鳥でビールを飲み、またバスを乗り継いで鶴岡へ出た。Yとは鶴岡で別れた。


1980年8月2日土曜日

谷川連峰朝日岳

  天気がついていない、いわゆる雨男、雨女という人はいる。今回は山行自体が途中で中止になってしまった。

8月2日

 土合駅から歩き、湯檜曽川を1時間ほどさかのぼり、そこで釣りをしたり食事をしたりして遊んだ。その日は民宿みちのくで泊まる。


8月3日

 はっきりしない天気で、今にも雨が降り出しそうに、雲が低く垂れこめていた。それでも、はっきり悪天になるまでは行ってみよう、ということで民宿の車で朝日岳への登山口まで送ってもらう。


 準備体操をしてから朝日岳への尾根道に入る。最初から急登である。登山口から2時間歩いたところで降雨がひどくなってきた。パーティーの中に登山経験が浅いものがいること、下山予定地の清水までは管理人のいる山小屋はないこと、不時露営の準備はないこと、などを考え合わせ、ここで山行を中止することにした。


 登山口までおりて昼食を食べ、水上へ行く。時間があったので、宝川温泉へ行って露天風呂に入った。なぜか女湯が良く見える構造であった。

宝川温泉で