2017年4月10日月曜日

黒旅(5)内子⇒熊本

2017年4月4日 内子⇒伊方

川越=黒旅の出発点

黒旅という自転車による分割日本一周の旅をはじめたのは2年前でした。http://hitoshio.blogspot.jp/2016/04/blog-post_12.html

前回は2016年10月19日に愛媛県の内子(うちこ)で旅を終えました。
今回はその内子から旅を再開し、豊後水道を九州へと渡り熊本まで走りました。

12:45 今日は内子を出発し細長い佐田岬のねもとにある港町、伊方(いかた)まで行きます。



14:00 内子から大洲を経由して肱川(ひじかわ)沿いに下り瀬戸内海に面する港町、長浜につきました。肱川の河口に橋が二つかかっていました。コンクリートの高い新長浜大橋と、赤いトラス鉄橋の長浜大橋です。長浜大橋へ行ってみました。
長浜大橋(カメラの設定をモノクロにしていたのに気がつきませんでした)
長浜はかつて隆盛をきわめた木材の集積地でした。長浜大橋は中央が開いて木材の積み出し船が航行できるようになっています。新しく大きな橋ができたとき長浜大橋は取り壊される予定でした。しかしこの橋に愛着を持つ地元の方の努力で保存することになりました。日本でただひとつ残った現役の道路可動橋です。知りませんでした。生活に密接した橋として使われています。
タイミングよく赤い車が通りました
この橋は撤去の危機だけでなく戦争の被害にも遭っています。米軍のグラマン機による機銃掃射のあとがいくつも残っていました。
トラスの鋼鉄に親指が通るほどの穴が空いています
14:30 長浜をあとにして瀬戸内海を望む気持ちの良い道を伊方へと向かいました。
この海岸線の先に2016年8月から再稼働した伊方原発があります
今夜は伊方原発に近い民宿に泊まります。

原発の運転停止や再稼働のニュースをマスコミが伝えます。そのときに決まったパターンがあると感じていました。原発周辺の宿泊施設を経営する人の声を伝えるのです。それはたいがい「停止されたら宿泊客が減るので困る」あるいは「稼働すれば宿泊者が帰ってくるので助かる」というものです。

この黒旅のひとつの目的は日本の原発をすべて見て回ることです。見てどうなるのか、どうするのか、分かりません。まずその様子をじっさいに自分の目で見て、原発の近くで生活している人の声を聴いてみたい、ということではじめました。

黒旅で最初にたどりついたのは浜岡原発でした。http://hitoshio.blogspot.jp/2016/02/
そこでは原発のPR館を見ただけでした。地元の人の声は聴こえてきません。それで今回は原発に近い宿泊施設に泊まることにしました。そうすれば原発と地元の人とのかかわりについて聴く機会が持てるだろうと思いました。

茅トンネルからの伊方港
伊方には町の大きさからするとたくさん民宿や旅館があります。原発に近いのでそこで働く人たちが泊まることが期待できるからです。黒旅に出る1週間ほど前にそれと思しき民宿に宿泊予約の電話をしました。電話口に出た女将さんは高いはっきりした声で「ここは原発で働く人たちが泊まるところですよ。旅行で来るなら眺めも、風呂も、料理ももっといい宿があります。どうしてもというのなら来てください」といいました。

16:00頃 民宿に着くと道路に面したその食堂から4,5人のおばあさんたちが出てきました。そのあとから聴き覚えのある声の女将さんが出てきました。案内された部屋と入った風呂の様子で、ここが観光客を相手にした宿泊施設ではないことがよくわかりました。

伊方町役場
17:00頃 食堂で焼酎(水割り氷なし)を飲みながらとれたてのカンパチの刺身をいただきました。とてもよい歯ざわりでした。意外にも女将さんは「原発はいらない」という意見でした。「さっき帰っていったおばあさんたちの中にも原発反対の人が2,3人いる」とのことです。「使用済みの核燃料を処分するところがなく原発のプールにたくさん入ったままです」と女将さんはいっていました。どうするんでしょうか。

18:00頃 あれこれと話しているとさっきのおばあさんたちとは身なりのちがう年配の女性がひとり食堂へやってきました。女将さんから出されたものを食べはじめました。伊方の町議選に原発反対の立場で立候補しているそうです。「今日は佐田岬の先の方まで行って話をしてきてくたびれた」といっていました。投票日は4月16日です。町議の定数16人で18人が立候補しておりこの方が唯一の女性候補とのこと。女将の母はよく「馬鹿なやつを見たければ町議会へ行け」といっていたそうです。

本日の走行距離:45㎞


2017年4月5日  伊方(愛媛県)➡大分市(大分県)

7:00 民宿の女将さんは朝食に大きな焼きサザエを出してくれました。柔らかくていい塩加減です。作り方をたずねたところ、なにも味付けはしないで、しち、はちぶ蒸し、あとはグリルで焼くだけだそうです。

8:00 女将さんに感謝して伊方を出発しました。きょうは原発へ行ってから三崎まで走り、そこからフェリーに乗って佐賀関(さがのせき)へ渡り、さらに大分市まで走る予定です。


伊方港(茅トンネルから)

伊方から三崎までは走りやすい景色のよい道です。原発への道もいい道でした。

伊方から三崎までの景色をまとめた動画です。
https://goo.gl/photos/epndMu9XsS2CHzQn7


13:40 佐賀関からは走りにくい国道197号(いくな)を大分市へと向かいます。

天気予報では明日から雨が続きます。ポンチョに吹きつける防水スプレーと密封できる収納ポリ袋を100均で買いました。今夜は素泊りの旅館に泊まるので、食料の買い出しもしました。

本日の走行距離:59㎞


2017年10月6日  大分市(大分県)➡飯田高原(大分県)

 7:30 雨が降っているのでポンチョを着て大分の宿を出発しました。明日は久住山(くじゅうさん)(1786m)に登るつもりです。今日はその麓の飯田(はんだ)高原まで行って泊まります。

8:00 通勤通学の自転車が行きかう大分川の堤防から豊後富士とも呼ばれる由布岳の特徴ある頂が雨に煙って見えました。
一番左が由布岳
10:30 国道210号を湯平(ゆのひら)大橋まで登ってきました。標高約300mです。飯田高原まではあと標高差600mを登ります。
湯平大橋にて



11:30 湯平温泉を過ぎて標高700mほどまで登ると道端に石碑がありました。表には「倉本線 開道記念 第四施設大隊 倉本作業隊」、裏には「昭和三十三年六月十二日 竹松部隊第四中隊」とありました。この道は陸上自衛隊の方がつくったようです。きっと大変だったことでしょう。道を使わせてもらうものとして、先人の苦労を忘れないようにしたいと思います。






12:30 朝日台というところに出ました。正面に九重連山が見えます。山頂には雲がかかっています。
朝日台から九重連山をのぞむ
14:00 今夜の宿、飯田ヒュッテにチェックインしました。この建物は阿蘇くじゅう国立公園のなかにあります。窓のそとはクヌギ林です。木をふんだんに使ったヨーロッパ風の作りで快適です。オーナーはこの地の山岳ガイドの西嶋功さんです。時折雨が窓をたたきます。明日は久住山に登れるでしょうか?
部屋は畳敷き、窓はペアガラス
本日の走行距離:52km


2017年4月7日 飯田高原(大分県)➡久住山➡神原(大分県)

今日は久住山へ向かいます。風雨が強くて登るかどうかわかりません。

くじゅうさんの表記は「九重山」「久住山」などいろいろです。ながいあいだ論争があったそうです。そして連山をいうときは「九重山」、1786.5mのピークは「久住山」、国立公園の名称は「阿蘇くじゅう国立公園」におちついたそうです。

九州本島の最高地点は九重連山のなかの中岳(1791m)です。なぜそれよりも低い(4m足らずですが)ピークが「久住山」なのでしょうか。飯田ヒュッテの西嶋さんに聞いてみました。「それは麓から見て一番目立つピークだからですよ」と明快に答えてくれました。7年前に南東麓の竹田市のほうからバスで登っていったとき、たしかに空を突くような頂を見た記憶があります。それが「久住山」だったのですね。自分の経験と符号したので深く納得しました。

8:00 西嶋さんに見送られて今朝もポンチョを着て雨のなかを出発しました。飯田高原から長者原へはゆるい登りです。向かい風が吹いてきます。

9:20 牧ノ戸峠につきました。風雨がこころなしか弱まったように感じました。閉鎖しているレストハウスの前に自転車を置いて久住山を往復することにしました。

11:10 途中すべりやすい火山灰の道に難渋しながら山頂につきました。朝からここまで写真を撮りませんでした。カメラが防水仕様ではないので風雨の中では撮影できないのです。やっと風が弱まり薄日がさすようになったので自撮りしました。
自撮りですが不要部分は切り取りました

Mount Kuju.jpg
このような景色を期待してたのですが...(ウィキより)

13:10 牧ノ戸峠に戻りました。おやツバメ号のあたりにゴミが散らかっています。心無い観光客でしょうか。ちがいます。ツバメ号のバッグに入れてあった食料(柿の種、チーズ、鶏の燻製、飴)をカラスが引っ張りだして食べていったのです。のど飴まで...

13:20 今夜のおつまみをカラスに食べられたのはショックでした。気をとりなおして霧雨のなかを産山へ向けてポンチョを着てくだりだしました。スピードがでるので体温が奪われとても寒いのでした。

13:50 霧のなかにとつぜんシュールな景色があらわれました。
これは村上春樹のエッセイでつづられていた珍景です!
向こうの丘のうえにも延々とオブジェ(?)が並んでいます。
これはおじさんがひとりで植木をカットしているそうなんです。すごい数です。
これなんでしょうかね?
14:30 産山まで下りました。菓子パンとペットの紅茶を買い一服しました。ここからは阿蘇の東麓を南下して祖母山の麓、神原(こうばる)までへ行きます。

14:40 産山から標高差を100mほど稼げばあとは下りベースの道になると期待していました。坂を登り切ったあたりで左折する道がありました。これは枝道だろうと思いまっすぐ進みました。雨風に吹かれながら小さなアップダウンある道をどこまでも行きました。もう国道57号に出合ってもいいころだなあと思いました。しばらく行ってまた左折する道がありました。「ミルクロード」とあります。ここでようやく道を間違えたことに気がつきました。さっきの分岐で地図とコンパスを使って確認しなかったのが原因です。がっかりです。やむなくミルクロード経由で57号へ行くことにしました。それからも霧の中を細かいアップダウンが続きようやく交通量の多い57号に出ました。10km以上迂回してきたことになります。ごくろうさん。ここからはっきりとした下りになりました。そこから気を抜かず何度も地図で現在地を確認しました。

17:00 大野川にかかる合ヶ頼橋からいい景色が見えました。谷が深いので川を横切るたびにアップダウンとなり足に来ます。
合ヶ頼橋からの眺め(カラー写真です)
17:40 ようやく神原に着きました。今夜はここの「民宿清流」に泊まり、あす祖母山(そぼさん)に登ります。

大きくてねんきの入ったひのき風呂に入ったあと夕飯をいただきました。エノハ(ヤマメ)の刺身と塩焼き、それに鶏カツ。どれも民宿のお孫さんが作ったもので美味でした。

本日の走行距離:86㎞(久住山登山を含む)


2017年4月8日 神原(大分県)➡祖母山(大分県)➡神原

10:10 民宿清流のお孫さんに軽自動車で一合目の滝登山口(標高約700m)まで送ってもらいました。きょうは一日山登りです。雨が降っているのでお孫さんに借りた新品のビニール傘をさして登ります。

11:40 お孫さんに作ってもらった弁当を食べました。三色のおにぎりととりどりのおかずが美味しくてなんだか力がわいてきました。

13:20 途中道が凍っていましたが無事に祖母山(1756m)の山頂に着きました。祖母山という地味な山名のいわれはこの山に神武天皇のお祖母さんを祭っているからだそうです。神原という地名といい神々しいばかりです。
祖母山の山頂で
15:10 このところの雨のおかけで沢水は豊かで苔の緑は滴るばかりです。
沢に苔
15:20 修験道の山にふさわしい堂々とした滝がいくつかありました。

16:10 登山口まで民宿のお孫さんに迎えに来ていただきました。すっかりお世話になってしまいました。

18:10 夕食は鶏のタタキ、鶏ナベ、エノハの唐揚げ竹炭まぶし、それに鶏の吸い物をいただきました。この地ではすき焼きも鶏肉だそうです。料理してくれたお孫さんは結構な大男です。その全身は鶏でできているとのことでした。


2017年4月9日 神原(大分県)➡内牧(熊本県)

 
8:20 雨の中を何日も走ってきたのでチェーンとギアの油がすっかり落ちてしまいました。民宿のお孫さんに潤滑油を借りて吹き付けました。雨の日の下りはブレーキパッドの摩耗が早く調整が必要です。あれこれ整備しお孫さんに挨拶して久しぶりの青空のもと神原を出発しました。

8:30 今日は阿蘇の内牧(うちのまき)までの楽な行程なのでそこここに残る石橋を見ながら行きます。まず姥岳(うばだけ)郵便局のわきの現役の橋、山ノ神橋から。姥岳は祖母山の古名です。
神原山ノ神橋
 8:40 頭上高くアーチ橋が見えました。支間の長さは135mで国内最大だそうです。
神原渓谷大橋
下渡瀬橋
紺屋(こうや)橋(奥の小さな橋です)
 9:50 「円形分水⇒」という標識があったので行ってみました。これはなんでしょう?
円形分水(音無井路十二号分水)
この地域では昔から水不足の時に集落間で水の配分をめぐる争いが絶えなかったそうです。それを解決するためにこのしくみが考案されたそうです。円の外周の四角い穴は水平面の高さと幅が均一なので、円の中心から噴き出た水は均等な量で穴から流れでます。集落ごとにいくつの穴を割り当てるか決めて仕切りを設置すればあとは常時公平に水が流れる仕掛けです。

この円形分水ができるまでたいへんな歴史があったそうです。江戸時代には建設した用水路を災害で破壊された武士が切腹しました。明治時代には私財をなげうって用水路の建設をした人が破産しました。そのようなはてに昭和になってこの仕組みができたのだそうです。とても平和な景色でした。

10:10 谷から登ってい行くと視界が開けました。祖母山が見えます。こういう山だったんですね。
祖母山
合ヶ頼橋からのながめ
合ヶ瀬端から一昨日はこんなふうでした
岩戸橋(大きい方の橋、もう現役を退いています)
12:00 いろんな橋が見られて満足でした。昼になったので豊肥本線の滝水駅の駅舎で民宿のお孫さんが作ってくれた弁当を広げました。すると...
日本でなければできない旅ってありますよね。

16:00 阿蘇の外輪山を越えてカルデラのなかの盆地に入りました。内牧は大きな温泉町で夏目漱石が「二百十日」を書いた温泉宿や与謝野鉄幹晶子夫妻の定宿が残っています。
「二百十日」に出てくる明行寺
今日は「阿蘇ライダーハウス」に宿泊予定ですがチェックインは17:00から18:00厳守といわれていますので町をぶらぶらしました。

16:20 町はずれに阿蘇草原保全活動センターという建物がありました。ここで阿蘇の野焼きのことを尋ねてみようと思いました。

なかへ入ると係りの男の人がつかつかとやってきました。この方が本当によくいろいろ教えてくれました。野焼きはカルデラの内側だけでなく外輪山の外側の広大な土地も対象になっていること。野焼きはボランティアによって支えられていること。阿蘇周辺が一次産業から三次産業にシフトしてきているので野焼きの意義も変わらざるを得ないこと。などなど興味深い話しをつぎからつぎにしてくれました。

そして最後にとても重要なことを教えてくれました。阿蘇から熊本への(ペダルをこがずに行けるという)最短コースの国道は地震による山崩れのために依然通行止めになっているということ。現在の最短ルートは加藤清正も参勤交代で通った「二重ノ峠」を越える県道とのことです。ガチョーン。このようにして明日阿蘇山に登って熊本へ下るという野望はもろくも霧散したのでした。

17:10 阿蘇ライダーハウスにチェックインしました。バイクツアラーのあいだではもはや伝説のひととなっているオーナーの坂東さんとの邂逅についてはまた明日。

本日の走行距離:56km


2017年4月10日 内牧(熊本県)➡熊本市


阿蘇の民宿にいくつか電話しました。「食事は出せません」という宿ばかりでした。つまり素泊りですね。それなら素泊り専門のゲストハウスに泊まって、その分最後の夕食はちっと贅沢しようかな、と思いました。それで寄せていただいたのが阿蘇ライダーハウスです。http://www.aso.ne.jp/~asorh/

その夕食(炉裏庵という赤牛ステーキを食べさせる店。すてきでした)を終えてから2時間ほどと、翌朝雨で出発を遅らせた1時間ほど、坂東さんといろいろ話しました。

坂東さんは40代後半ですが、30代にしか見えません。このライダーハウスを開いてもう15年になるそうです。この宿の厳しい宿泊規則は、地域の人たちの生活を脅かさず、若いライダーに格安で旅を楽しんでもらいたいという坂東さんの真摯な気持ちが産んだものです。必要以上に狭き門とも思われている宿泊規則ですが、わたしには常識の範囲かなと感じられました。

阿蘇ライダーハウスのHPを見ると何か奇をてらっているようでもあります。坂東さんには「なるべく沢山の若者を泊めてやろう」とか「テレビに出て有名になろう」などという気持ちはさらさらありません。宿泊規則を守れなそうな客はどんどん断り、テレビ番組への誘いもガツンと断ります。実際坂東さんはハウスの収益だけで生活するのはたいへんなようです。それでも優先するのはライダーに対する自分の思いと、地域のなかでのハウスのありかたです。

坂東さんは若い人たちがいろんな人との交わりを通じて自分の世界を広げ人生をエンジョイしていくことを願っています。それぞれに人生を満喫して欲しいという熱いこころをもっています。だから今どきの若者が親からも言われたことのないような苦言もどんどん彼らにぶつけます。

バイクライダーは年をとると乗らなくなるひとが多いそうです。わたしもそのひとりです。坂東さんは若い人たちが年をとってもバイクをやめないように、と願っています。

わたしは、バイクをやめたとしても何かほかにこころのエネルギーをぶつけられるものがあればいいのでは、と思いました。ひとは結婚して子供ができたり、仕事で責任を持たされたりして、自分の楽しみを犠牲にせざるをえないようなことがおこります。そのような状況になっても家庭や仕事だけでない自分を何かをつうじて表現できることが大事だと。坂東さんもそれに共感してくれました。

10:00 雨の中、坂東さんに「これからも自転車旅行やめないでくださいねー」と見送られて阿蘇ライダーハウスをあとにしました。ここからは坂東さんが書いてくれた地図を見ながら参勤交代の道にそって熊本へ向かいます。

坂東さんが土地の方から聞いた話ですが、神話の時代にある神様が阿蘇山を蹴飛ばしたそうです。それが阿蘇の外輪山が東側で欠けているところです。カルデラに溜まっていた水がここから流れ出ると、あとに大鯰がここに引っかかっていたそうです。大鯰はつまり活断層。ここに国道と鉄道が通っていました。それが地震による山崩れでどちらも不通になりました。江戸時代の参勤交代の道はそこは通らずもっと北側の二重ノ峠で外輪山をまともに越えていました。そのルートにそった県道は今回の地震でも健在で、現在熊本と阿蘇を結ぶ唯一の交通路です。
二重ノ峠へ至る県道からみた阿蘇の平地
野焼きの山肌が烈風に吹かれていました
野焼きしたところにはもう緑の新芽が出ています
12:50 坂東さんお勧めのホンダの桜を通って下りました。阿蘇のスロープにそった1.5kmほどの満開の桜のトンネルでした。

16:20 雨の中でも熊本城の修復工事は進められていました。その姿をまぶたに焼き付けて今回の黒旅を終えました。

本日の走行距離:46km

黒旅(5)内子⇒熊本 走行距離:344㎞

黒旅(1)~(5)走行距離:1,448㎞