1981年3月18日水曜日

尾瀬

 早稲田大学専任職員の登山サークルであるWALC(早稲田大学アルコールクラブ)に入って最初の山行である。磯工の山岳部に入ったのは15歳の春だったから、あれから丁度10年経ったのだ。だけどまだまだ登りたい山がある。滑りたい斜面がある。わたしの山旅は始まったばかりだと云ってもいい。

3月18日
 例によって上野発の夜行列車で上越方面に向かう。いつもながらこの列車には酔客が多い。前後左右から酒臭い吐息をまかれる。

3月19日
 未明の沼田駅で下車し、駅の待合室で6時まで仮眠する。それから予約してあったマイクロバスで大清水へ行く。メンバーはWALCのメンバー4名、早稲田大学ワンダーフォーゲル部の部員2名にわたしを加えた7名である。

 期待通りにきれいに晴れ上がった山道を、マイクロバスはすごいスピードで走った。戸倉を過ぎると雪道になり、スパイクタイヤでは困難な凍結路になったが、依然すごいスピードで走り抜けた。大丈夫かと気にしていたが、ついにバランスを崩し山側の雪に乗り上げた。これでみんな目がぱっちりと覚めた。

 大清水で朝食をとり、車道をシール歩行で三平峠へ向かう。シール歩行は初めてだったが、スキーを滑らせることには慣れているので問題なかった。天気が良く歩くのが気持ちが良い。一の瀬の手前で1本立てる。ここまでは足並みは乱れなかった。

 ここから道は冬路沢の右岸沿いに登って行く。斜面がきつくなり、メンバーの間が離れてきた。林道を横切るとさらに急登になり、性能の良くないシールを付けている人は、上手く登れなくなってきた。わたしのシールは問題ないが、締め具がマーカーM4で、踵が途中までしか上がらないので、急登になると歩幅を大きく取ることができず歩きにくい。

 三平峠に着くと正面に燧ヶ岳が特徴のあるこんもりとした山容をみせた。富士見峠の向こうには一昨年の5月に登った至仏山が頭をのぞかせている。ゆっくり休んでからシールを外して尾瀬沼に下る。背中の荷物は30キロ近くあったが、ウェーデルンで降りた。沼の上に出ると広々として気持ちが良かった。長蔵小屋まではすぐで、早稲田大学ワンダーフォーゲル部の部員たちが迎えてくれた。

 夜はテントの外で酒盛りをし、したたかに酔って楽しかった。

3月20日
 今日は燧ヶ岳に登る予定だが、天気はあまり良くない。

 大江湿原をぬけ、樹林帯の中に入る。ペースが少し早く、やっとついている人もいた。徐々に雲が切れ出し、樹林帯をぬける頃には快晴になった。風もない。山頂手前のコルでみんなはスキーをデポしたが、わたしは山頂から滑降するつもりなので、スキーを担いで登った。

 山頂で景色を楽しみ写真を撮る。あちらにもこちらにも、スキーで滑ってみたい山が沢山見えた。山頂には燧ヶ岳の北面を滑る人がいて、盛んにそのコースの良さを吹聴していた。わたしはみんなの心配をよそに、あっという間にデポ地点の手前まで滑り降り、そこでしばらく待った後、また気持ちの良い斜面をジャンプターンで下った。そこから少し下までは良い雪だったが、樹林帯に入ると滑りにくくなった。

 長蔵小屋で雪掘りをしていた小屋の人がビールがあるというので、早速そこで乾杯した。燧ヶ岳の山頂直下に、わたしがトラバースした跡が見えた。

 この夜はみんな疲れて早く寝た。

3月21日
 のんびり起きて、ハイキングがてら裏山へ行った。30分ほど登るとコルに出て、広い谷を隔てて袴腰山がのっぺりと見えた。沢の源頭である小淵沢田代をぬけて、広々とした腹を通り、少しの登りで山頂に着いた。ゆっくり休んでから来た道を戻った。

 午後はテントの中でゴロゴロしながら、あああでもないこうでもないと馬鹿話をした。

3月22日
 夜半から雪が降り出したが、すぐに止み、下山を始める頃には薄日もさしてきた。

 尾瀬沼は、入山した時とまた趣きが違い、一段と美しかった。きっとまた来たいと思った。三平峠への登りは二日酔いの体にこたえたが、峠でシールを外すと、また滑るぞという気になった。スイスイと滑り下って、あっという間に大清水に着いた。タクシーで沼田に出る途中で、なつかしの千代田館で風呂に入った。沼田駅前の蕎麦屋でビールを飲み、上手いそばといなり寿司をたらふく食べた。楽しいスキーツアーだった。