1979年2月18日日曜日

五竜とおみ・野沢温泉スキー場 1979年2月18日~21日

 長い間自分の滑りに不満を持っていたわたしは、このスキー行でひとつのきっかけを得ることができた。まず、Eさんに感謝しなければならない。膝を使った滑りは全く重要である。もっと早くEさんに教えてもらうべきだった。

 腰の付け根の外側がつっぱるほど練習をした。もちろんこの場では上手くいかなくとも、きっといいきっかけになると思う。そうか膝か。


 五竜とおみで滑った後、野沢温泉の出張に行った。ここではスキースクールに入って、早いエッジの切り返しを学んだ。以前わたしが最も難しいと考えていたことができるようになった。早稲田大学スキー部の部員の滑りからは、残念ながらあまり学ぶことは無かった。



1979年2月11日日曜日

五竜とおみスキー場 1979年2月11日、12日

 スキーを教えることが中心だった。思い返してみると、自分の滑りに影響を与えたスキー行というのは、自分より上手い人にスキーを教えてもらった時だった。なるべくうまい人に教えてもらいたいと思う。


1979年2月4日日曜日

大山

  家族で大山に行った時は、必ず父がリーダーになる。それは、父が登山の経験が豊富だからではない。経験についていえば、わたしのほうが父より上であり、父は兄よりもさらに登山の経験が乏しいだろう。それなのになぜ家族で大山に登る時、父はリーダーになるのだろうか。

 それは家族の登山であるからに違いない。家庭での関係がそのまま山の中に入り込んできていて、父は山の中でもやっぱり偉い人なのである。


 もっとも、はじめて一緒に大山に登った頃の父は、もう少し大人しかったが、何度も一緒に登った結果、それなりに経験を積んだのでこのようになったのだろう。


 今回はヤビツ峠までタクシーで行った。例年であればこのあたりから日影に雪がちらほらと見えるのだが、今年は陽気が温かいので、まったく雪は見えない。秦野盆地がぼんやりと逆光に霞んでいて、まるで春のような景色である。


 そんなことを話しながら雷ノ峰尾根を登る。なんなく高度をかせぎ、大山の山頂に着く。霜で赤土がぐちゃぐちゃにぬかっている。阿夫利神社のこずえごしに見える富士山は、いつになくどっしりとした構えに見えた。


 昼食をとって、さっさと下山する。父は下りが難儀に見える。脚力が衰えてきたので、膝に負担がいっているのだと思う。それでも途中で甘酒を飲みながら休んだりして、下社まで快調に下る。


 下社で例のお札をいただき、女坂を下る。いつも立ち寄る塚本商店で食事をし、ほろ酔い加減になって伊勢原行きのバスに乗った。