1975年7月30日水曜日

穂高連峰

まだ浮き足立っていた。

7月27日

 横浜を早朝弟と出発する。6時15分の急行に乗り松本へ。そこからバスを乗り継いで上高地に1時30分に着く。ここまで6つの公共交通機関を乗り継いできたが、ずっと着席することができた。


 上高地から涸沢まで歩くのに約6時間かかり、涸沢のテント場に着いた時にはもう真っ暗になっていた。暗いうえに、テントの数が多いので、先に来ているはずのSのテントがどこにあるのか、なかなか見つからなかった。


7月28日

 翌日は単身で北尾根に向かった。まず、涸沢カールの雪渓を5・6のコル目指して登った。登山道とは違い、アップダウンなしに直線的に登っていくので高度がグングン稼げる。1時間ほどで5・6のコルに着いた。コルの向こう側を覗くと、奥又白の池がきらりと光っていた。

ここから北尾根を前穂高岳めがけて登攀する。5峰から4峰はガレ場を行く。3・4のコルからがようやく岩場らしくなる。3峰の登りにすでに数パーティーが取り付いている。わたしはそれらのパーティーの脇をすり抜けるように、ノーザイルで登っていった。すると、彼らも次々とザイルをザックにしまい始めたので、おかしくなってしまった。


 すごい勢い登ったので3峰の頂上に着いたときは息がはずんでいた。2峰、山頂と難なく越え、吊尾根を最低鞍部まで下った。ここから涸沢のテント場まで、雪渓をグリセードで下ろうと思った。鞍部から雪渓の最上部までは不安定なガレ場で、微妙なバランスで駆け下った。雪渓の出だしは急だったが、徐々に傾斜が弱まった。ただ、雪渓は固く、表面がスプーンカットされていて、グリセードで下ってもがくがくしてショックが大きく、気持ちは良くない。


 テントに戻るとSが出発の支度をしていた。どこへ行くのかと聞くと、わたしを迎えに行こうとしていたと言う。


7月29日

 快晴の中をS、磯工で一学年下だったS、弟、それにわたしの4人で奥穂高岳に登った。弟は下りで靴が足に当たり、痛いと言っていた。涸沢のテント場を撤収し高校1年の時に夏山合宿で泊まったの横尾で1泊して横浜へ帰った。

奥穂高岳で 1975年7月29日